「捨」だけに留まらず、「断」「離」も実践しないと物の呪縛から逃れられない。

2008年に物を捨てる作業を開始しました。

断捨離を知ったのは2012年です。(たぶん)

まず、5年掛けて物を処分した

捨てる作業を開始してから、5年ほど経った頃に、ようやく要らない物の処分が終わりました。

それまで、常に物の事を考え、要らない物探しに没頭してきました。

物を手放す事を考え、実際に物を処分して、スッキリした空間を得る作業の繰り返しで、いつも気分はhigh状態だったかと思います。

また、物欲も強かったので、買物も普通にしていました。

捨てては買ってを繰り返していたので、処分が終わるまで時間が掛かりました。

捨てるより買うスピードのほうが早かったら、更に時間が掛かっていたかもしれません。

虚無感に苛まれる

捨てる物が無くなると、一転して、激しい虚無感に苛まれるようになりました。

物を捨てる事が、次のステップに進む為や、目標を叶える為の作業であったのならば、虚無感に苛まれるような事はなかったのではないかと思います。

私の場合は、物を持つ事のわずらわしさから解放されたいとの一心で、物を減らす事に一生懸命でしたが、要らない物を全て処分して、目標を達成してしまった暁に、やる事を見失い、途方に暮れたという感じです。

断捨離の教えを参考にする

虚無感に苛まれている時期に、物を捨てるために参考にしていた、断捨離の教えが心に引っ掛かりました。

捨てる事ばかりに一生懸命になっていたけれど、断捨離の「断」や「離」については深く考えた事がない、と。

まだまだ、物に囚われている気持ちが残っていましたし。

そこで、物に囚われる事に陥らないように、「断」と「離」を実践していかなければならないと気付かされました。

と言うことで、そこから本気で断捨離を始めました。

2013年の事です。

断捨離が終わった頃に虚無感を覚える 数年前の話です。 物を捨てて捨てて、もう捨てる物がほぼ無くなってしまったときの事。 強く虚...

「断」と「離」を始める

「捨」は終わったので、次のーマは「断」と「離」としました。

断捨離の教えは、ネットからの聞きかじりだったので、ようやく、やましたひでこさんの本を読みました。

更に、断捨離に熱中するようになると、虚無感は徐々に薄れていきました。

しかし、完全には無くなりません。

入って来るモノを拒み、モノへの執着を絶ち、物を捨てていく。

そんな作業を行う過程で、虚しさを抱えるのは当然の事かと思います。

ガラクタを捨てて遊んでいた

当時を思い返してみると、虚無感に苛まれる前までは、ただ単に要らないガラクタを捨てていただけ。

捨てては買っての繰り返し。

言うなれば、単なるお遊びだった。

断捨離もオーラスとなった

2013年に激しい虚無感に苛まれてから、断捨離に本気になり、4年ほど経ちました。

先月に自転車を1台手放した事で、「捨」て作業もオーラスだと実感しました。

「断」と「離」に関しても、大方身に付いたかと感じています。

「断」と「捨」と「離」を全部実践しないと、物の呪縛から逃れられない

捨てる事だけで解決出来るような問題であれば、単に捨てれば良いだけの話で、断捨

離でいう「捨」を実行すれば良いだけ。

私の場合は、捨てる事から始まりましたが、そこから発展して、物欲や物からの呪縛から逃れたい気持ちが生じて、その想いは次第に大きくなりました。

だったら、「捨」だけに留まらず、きっちりと、「断」や「離」を実践して自分のものにしなければならないと気付きます。

ただ捨てる事だけで終わっていたら、同じ事を繰り返す事になります。

物の呪縛から逃れられず、同じ場所に留まったままだったでしょう。

物の呪縛から逃れたい人は、「捨」だけに留まらず、しっかり「断」と「離」も実践しなければなりません。

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