ずっと無いままでやってきて、無い事に慣れてしまったけれど、それで良いのだ。

ご飯を食べている時に、たまに気になる事があります。

それは、妻がご飯茶碗を使わずに、一枚の皿におかずやご飯をよそって食べている事にです。

妻は面倒くさがりなので、そんな様子を見ては、「またズボラな事をやっている」なんてず~っと思っていました。

が、昨夜の事ですが、ある事に気が付きました。

妻のご飯茶碗を最近見た事が無いという事に。

記憶を辿ると、数年前に割れたので捨ててしまったという事を思いだしました。

その後、この↓茶碗(5枚セットの萩焼)を使っていたのですが、これも全部割れてしまいました。

食器 断捨離

過去記事↓を確認すると、妻のご飯茶碗が写っていません。

数少ない食器が年に1~2枚割れます。 先日、5枚セットになった器の、最後の1枚が割れてしまいました。 食器ケース...

蠅帳

去年の10月以前からご飯茶碗無しでやってきた事になります。

そんな事はすっかり忘れていました。

ズボラをしていた訳ではなく、ご飯茶碗を持っていないので、今までずっと不自由な思いをしてきたという事です。

それはさすがに申し訳なく思いました。

「何でご飯茶碗を買わないの?」と聞いたところ、「旦那に買っちゃだめと言われたから」なんて事を言われました。

そんな訳ありません。

ご飯茶碗が割れたときは、萩焼があるので、「それを使えば?」と言った覚えはあります。

それを「買っちゃ駄目」と歪曲して覚えていたようです。

ならば、「ご飯茶碗買ってくれば?」と促すと、「そうね」と、気のない返事が返ってきました。

ご飯茶碗を使わなくなって、既に半年以上経っていますが、そんな状態に慣れてしまっているのか、ご飯茶碗の事なんかどうでも良いという感じです。

まぁ、こちらとしては、なるべく物は増やしたくないと思っているので、無理には勧めませんでした。

それにしても、今回の出来事で、妻も随分と変わったなという印象を受けました。

昔、食事の際には、演出に拘って、意地でもランチョンマットとコースターを使いたがっていたくせに。

今じゃ皿1つにおかずもご飯もよそって食べるようになっている。

良いのか悪いのか・・・

いや、無しでもやっていけているのなら、それ以上の事はない。

よって良いのだ!

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