断捨離を実践して経済的負担から解放された。

断捨離を知らなかった頃

お金が無かった

今から10年ぐらい前の事、とにかくお金が無かった。

理由は物欲を満たす為に無駄に散財していたせいです。

また、節約するという考えも無かった。

 

無駄な消費欲を煽られていた

「江戸っ子は宵越しの銭を持たない」という言葉があります。

そんな言葉を額面道りに受け取って、かっこいいと思っていました。

また、受け売りですが、「借金は財産」や「借金は信用の証」なんていう考え方も持っていました。

なので借金する事にはそれほど抵抗が無かった。

「借金が増えるほど信用が上がるしね!」とか言ってた。

お金を使う口実にもしていた。

ほんと、思い返すと自分が残念でなりません。

しかし、社会貢献に資する考え方を持っていたと言えます。

素晴らしい考えだった!?

いやいや、もうその手には乗りたくない。

今では無駄な事にはびた一文使いたくない。

 

減らせば楽になるよね?

消費する事ばかり考えていたのですが、生活して行く事に「疲れた~」と感じたときにこう思いました。

「減らしたら楽になるよね?」

何度かそう思わされる事がありました。

ただ、その考えはすぐに根付きませんでした。

そう思ったところで、当時は「減らす」なんて考えには違和感を抱きます。

実践するのはかなり難しく感じ、そんなのダメダメ!とも思いました。

「減らす」事は、味気ない人生になってしまう。

また、「縮小」や「衰退」なんていう言葉が連想させられます。

とは言え、「楽になるよね?」

罪悪感や諦めの感情を抱きつつ、それでも楽になりたい。

そんな思いと希望が次第に強くなります。

そこから、甘い誘惑に誘われ、禁断の領域に足を踏み入れるようにジリジリと、減らす事へ方向転換していった次第です。

まずは物から。

 

断捨離を始めてから

ティッシュ箱を置くのにさえ経費が掛かる

物を捨て始めた頃からこう考えだしました。

「物を所有するためには経費が掛かる」

それは、ティッシュの箱1つに対しても。

そんな小さな物に対して飛躍した考えかもしれません。

が、ず~っとそのような事ばかりを考えるようになりました。

 

ティッシュ箱を床の上にポンっと置く。

そこにどれだけの経費が掛かるが計算してみる。

 

家賃 ÷ 部屋の面積 × ティッシュの占有面積 = 掛かる経費

 

以上のような考えで、ティッシュという小さな物にさえ、厳密に計算すると、スペースを占有されているからには、それなりの経費が掛かっている。

そう考えだすと、減らさずにはいられません。

減らしたところで家賃は下がりませんが。

しかし、地道に物を減らしていければ、いつの日か、狭い部屋に引越す事が出来るようになり、家賃という固定費削減の選択肢を得られる。

小さい物とはいえ侮るなかれ!

 

断捨離を知り目から鱗が落ちる

物を捨てる(減らす)って、かなり怖いと言うか、勇気が必要でした。

せっかく手に入れた物ですしね。

一旦手放すと、二度と手に入らない物もあります。

そういう訳で、かなり迷いながら物を減らす事を実践していました。

そんな時に知った断捨離という考え方。

 

断捨離とは。

断・入ってくる要らない物を断つ。

捨・要らない物を捨てる。

離・物への執着から離れる。

 

ただ単に物を減らすだけではなく、物への執着を捨てる。

物だけではなく、足枷となっている環境も捨てていく。

物と事と欲を手放していく。

そうする事で、「楽」の永続が容易となる。

正に、「楽」を手に入れる為の手段と感じました。

とは言え、すぐに決着が付けられる作業ではありません。

何度かリバウンドがあり、失敗もしたし、減らす事に疑問が生じる事もありました。

毎日葛藤の日々でした。

 

断捨離を終えてから

減らす事を初めてから10年ほど経ちました。

いつの日からか、買物するのが億劫になり、必要に迫られないと腰が上がりません。

最近買物をしましたが、買物をする行為が面倒くさくて、益々嫌々な気持ちが大きくなってきた。

ほんと、物欲が少なくなったと感じます。

同時に無駄な出費が抑えられている。

恐る恐る始めた減らす作業により、結果、経済的負担は明らかに軽減された。

経済的な負担が軽減され、楽に生活出来るようになった。

現在所有している物への執着はまだ残っていますが、それだけ有れば他には要らないという感じです。

とは言え、まだまだ周りの意見に左右されやすい弱い気持が残っていたりします。

弱い部分を補うためにも、引き続き断捨離の考え方は忘れないように地道に実践していきたいところです。

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