我慢するよりちょっとした工夫で快適な生活?

我慢するよりちょっとした工夫で快適な生活

ホームセンターへ買物へ行くと、大きな紙にこんな事が書かれています。

「我慢するよりちょっとした工夫で快適な生活」

物を減らしたくて、断捨離に頑張っていた頃は、全然心に響かなかった言葉ですが。

心に響かなかったというより、むしろ、嫌悪感を生じていた。

「物を買わせようとするな!」

なんてね。

しかし、最近、そんな言葉が気になる。

我慢して不便な物を使う

去年の暑い時期、自分専用で使っていた小さなカーペーットを捨てました。

捨てた理由は、カーペットから出る粉の掃除が大変だったため。

暑い時期という事で、必要性も感じていなかった事もあり、さっさと捨てられました。

寒くなってからは、妻が持っていた、ふにゃふにゃのラグマットを使用する事になります。

これで冬を乗り切るぞ!

なんて思いながら使っていたのですが。

しかし、これ、かなり使いにくい。

すぐにグニャグニャに偏るし、何より寒い。

ちょっとした工夫で快適になった

結局、カーペーットは新調しました。

すべり止めが付いて、粉が出ないしっかりした物を。

そのおかげで、いまは快適に過ごせています。

そんなんで良いのだろうか?

ここでちょっと考えさせられたりもします。

そんな物に頼って良いのだろうか?

依存するような事になって良いのだろうか?

たかが小さなカーペットから疑問が生じてしまいました。

たかが「物」、問題にするほどではない

また余計な事を考えだしてしまった・・・

考えるのは大事な事でしょうが。

しかし、たかがカーペット一つに、長い時間囚われるのもどうなのか・・・

そう思い直し、今は持っているのだから、素直にその物からの恩恵に授かればいい。

いちいち問題視するな!

という考えに落ち着きました。

改めて、我慢するよりちょっとした工夫で快適な生活を考える

現在、物が少ない環境で生活しています。

特に支障なく暮らしています。

でも、カーペットの件のように、物を持たない事に拘りすぎて、不便な生活になっていないか?

と、部屋の中を見渡し、自問自答してみると、不便になっている事は無きにしも非ず。

しかし、物を持たない生活を目指すのであれば、不便を享受しなければいけない。

また、持たない暮らしを実践するのだから、それは当たり前の事。

なので問題無いとは思います。

しかし、カーペットを新調していなかったら、冬の寒い間、妻から借りた、薄くてグニャグニャのラグマットで暮らしていたと想像してみると、本当に問題無いのか?

一度立ち戻って、改めて、我慢するよりちょっとした工夫で快適な生活を考えなければ?なんて事を考えさせられました。

 

やり過ぎた事に気が付いたときには、修正してやらなければと感じる今日この頃です。

あ!?いつの間にか、お店のキャッチコピーに嵌められてる!?

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