趣味を楽しむ
DIY(木工作業)が趣味です。
棚を作ったりテーブルを作ったり。
作る事にワクワクします。
趣味を辞めたあとの懸念
作りたい物はどんどん作るべきと考えています。
どんどん作って創造力や技術力を高めていく。
とは言え、作った物はしばらくすると飽きて捨ててしまう事がほとんど。
結局ゴミにするだけ。
それが無駄に感じるようになりDIYを控えるようになりました。
おかげで物は増えなくなりゴミも出なくなった。
断捨離を実践する身として、出来ればこのままDIY趣味はフェードアウトしたい。
そう考えるまでになりました。
しかし、完全に辞めるとなると懸念させられる事があります。
辞めたら技術が衰える。
とか。
楽しみが無くなってしまう。
と言う懸念。
何も出来なくなっていた
懸念を抱きつつ、結果、DIY趣味はしばらく休止する事にしました。
それから時が経ち・・・
必要に迫られ、簡単な木工作業をやらなければいけない状況が訪れる事に。
端材と道具を引っ張り出し、「さあこれから!」と言うときに・・・
作業が丸1~2日掛かる事を想像すると、急にしんどくなってきて止めてしまいました。
で、出した端材をまた仕舞いこむ気にもなれず、そのままノコギリで切断解体して廃棄。
しばらく休止した結果、案の定、作業を始める前からしんどさを実感してしまい中止としました。
技術的にどうこうより、気持ち的に無理になってしまっていた。
懸念していた以上の減退。
面白みのない生活
木工作業に限らず、やりたい事はやるべきとの考えです。
やらないと気持ちが収まらないし、その気持ちを抑えるのが大変。
しかし今は自制心が強くなり欲を抑えつけられるようになりました。
そうして活気のない面白味のない日々となり、更には、気力、体力の減退に繋がる事に。
「楽しくない」
そう感じる事が多くなった。
断捨離の弊害?
今回の出来事でDIYを心底からやりたいと思わなくなった自分に気付きました。
面白さを感じられず意欲も湧かない。
そうなってしまったのは、断捨離を実践してきた事による弊害だと思っています。
とにかく無駄になるような事は控えようとした弊害。
しかし、断捨離を実践して気力体力は減退したけれど望みは叶えられた。
望みとは。
- 無駄な出費をしない
- 無駄な物を増やさない
- 無駄な作業をやらない
これを断捨離の弊害とネガティブに捉えるのか、断捨離のおかげとポジティブに捉えるのか。
今回の件はどう捉えて良いのやら?
なんだかよく解らなくなってきた。
やりたい事は断捨離
私の場合、断捨離を実践してきた事によって何事も尻すぼみ状態になっていると感じます。
無駄な事は減らすべきですが、気力体力まで減らすのは考え物。
そんな現状からして、今までやって来た事は正しかったのか?
との疑問が生じる。
何かが間違っていたのでしょうか。
その何かは「何事も減らしたい」という気持ちなのでしょうが。
そう解っていながら、その考えからなかなか抜け出す事が出来ません。
減らす事で諸々が楽になりますから。
また、物を減らす作業は楽しいし。
なので、断捨離に一生懸命になるのでしょうが。
あ!
という事は、ず~っとやりたい事をやっていましたね。
「やりたい事はやるべき」の考えに沿って、欲望の赴くままに断捨離作業をしていた。
趣味が断捨離になっただけ
「趣味を断捨離して、楽しくないしやる気が出ないし、どうすれば良いのだろうか?」
と、悩まされていた。
が、それは勘違いかも。
その代り断捨離という楽しい事をやっていた!?
今までの趣味から断捨離という趣味に取って代わっただけかも。