たまに、○○が欲しいと思います。
○○とは、あれば便利な物。
例えばテレビドアホン
私が住んでいる築古アパートにはテレビドアホンなんていうものは付いていません。
チャイムを鳴らされるたびに玄関先まで赴き対応しています。
我が家のチャイムを鳴らす人なんて、ほぼ、招かざる客です。
わざわざ玄関先まで歩かされて嫌な思いをさせられる。
そんな時にテレビドアホンが有ったら座ったままで対応出来ます。
そんな便利さを手に入れたいとの欲求が生じ、ドアホンが欲しくなる。
しかし、そんな想いが生じるのは招かざる客のせいです。
招かれざる客の為にお金や無駄な労力を費やされる事になる。
何とも解せない。
例えば充電式掃除機
我が家では、モップ、箒、コロコロ、雑巾で掃除をしています。
毎日、私も妻も拭いたり掃いたりしています。
が、ちょっと掃除し辛い場所は、二人とも見て見ぬふりをしてしまいます。
そんな場所はホコリが溜まりがちです。
溜まったホコリをチラ見しては、簡単に取り出して使える充電式のハンディークリーナーが欲しいなんて思います。
他にも快適な生活環境を得ようと、細々とした欲が出てきます。
快適な生活環境を整えようとするとキリが無い
断捨離欲が落ち着くと、今度は不便さが気になりだしました。
不便さに遭遇したときに、すぐに脳が反応して改善策を講じます。
改善策を講じていると、おのずと物に頼る方向へ行きがちです。
その度に、「イヤイヤイヤ!要らない要らない要らない!」と、強制的に想いを打ち消しています。
物を減らす事で快適さを実現したいと考え実践してきました。
それに反して、テレビドアホンを設置したり、充電式掃除機を増やしたところで、生活に支障は無いでしょう。
むしろ快適になりそうです。
ただ、不便さを解消するために物に頼ったときには、更に物へ頼らざるを得ない状況が生じるかと思います。
もっと高画質が良いとか、もっと吸引力が大きいほうが良いとか。
追い求める思考に嵌り、物により解決を図ろうとすると、キリが無いと感じます。
1つ欲を満たすと、また新たに次の欲(課題)が生じてくるのは常です。
現状に満足してしまおう
快適さを求めだすとキリがありません。
キリが無いので諦めてしまう事が肝心かと思います。
諦めというのはちょっと寂しいですかね。
「もうこれで充分だ」でどうでしょうか?
チャイムが鳴ったらわざわざ玄関へ赴き対応すればいいだけですよね。
それで充分じゃない?
埃が溜まった場所をチラ見して目に入ってしまったら拭いてやるだけですよ。
たったそれだけの事を実践するだけじゃないですか?
自信の無さの現れなのか、同意を求めつつ、物を追い求める思考に嵌るとキリが無いので、もうこれで充分という考えを反芻していきたいところです。