不用品を処分したら手元に何も残らなかった。

地震が頻発してます。

「もし大地震が発生して、今住んでいる地域に住めなくなったら実家に帰ろうか?」

そんな事を考えていたら、かなり昔の事が思い起こされました。

 

飛行機

 

若い頃に夢破れ、「東京を引き払い郷里へ帰ろうか?」なんて考えを巡らせていたときの事。

夜寝るとき布団の中で「自分が就ける仕事なんてあるのだろうか?」とか「おめおめと帰ったところに親は何て言うだろうか?」などと想像しては悶々とさせられていました。

 

その時に所有物の事についても考えました。

「持って帰る物は?」

「どうやって運ぶ?」

とか。

 

しかし、シュミレーションしたところ、不用品を処分したら手元に何も残らない事に気付きます。

「金目の物が無い、大事な物が無い、持って帰る物なんて何も無い!」

そんな事をしっかりと認識させられました。

 

更に、「金は無いし持ち帰る物も無い、俺は何の為に上京したんだ?」

そんな想いが湧きあがり、かなり悲しい感情にも見舞われました。

 

田舎から出ていくときに裸一貫はしょうがない。

物語的にもそれはセオリーでしょう。

何も無い状態から成功へ向かう姿はカッコイイ!

なんていう想いにより恥ずべき気持ちはなかった。

が、帰るときも裸一貫とは何とも情けない。

そう感じて結構凹みました。

 

寝る ブルドッグ

 

で、結局は留まる事になり、その後は物に翻弄される生活となります。

 

時は経ち、今は何も持っていない時期に比べると少しばかり状況は変わりました。

持ち帰りたい物は少ないですがいくつかあります。

あと、妻も持ち帰らなければ。

となると妻の物が追加される事になります。

 

とは言え大した量はありません。

しかし、考え方が大きく変化したため、「持ち帰る物が少ない」と言う状況に対して気持ちが萎えるという事は全くありません。

むしろ手ぶらで帰りたい。

今は逆にそれが出来ないのを残念に感じます。

 

月日を重ねると、おのずと動きを鈍くさせられる要因が徐々に膨らんでいきます。

物だけに限らず仕事だったり地域への愛着だったり。

移住を考えた時に、それらを手放すのが辛いと感じるような状況になっていきます。

物や事は人生を豊かにしてくれると同時に、状況により持っている事でかなりの重荷にもなりえます。

 

そう実感すると大事な物や事柄って出来るだけ少ないほうがより心が軽く身軽でいられると感じます。

究極はそれらのモノを沢山持っていたとしても「必要なモノなんて一切無い、一切の物が不用品、全て失っても大丈夫! 」と思える心を1つ持つ事で最高の身軽さを得られるのでしょうね。

要は身軽さとは物の多い少ないではなく、自分の心持次第と言える。

しかし、なかなかそんな強い心と言うか潔くなれないので四苦八苦させられる訳ですが。

 

頻発する地震により、身軽でいつでも瞬時に移動出来る状態が一番との思いが再燃しています。

という訳でまたコツコツと物を手放していく事を実践していかなければと考えさせられている次第です。

 

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