不景気が始まる
日本の低迷した経済状況を指して、「失われた20年」とか言われております。
そんな渦中、私自身は特にそんな事を感じずやっていました。
が。
2005年をピークにして、その後は自身も不景気の波にのまれていく事に。
黙っていては仕事にあぶれてしまう。
そんなわけで、稼ぐ事に必死にならずにはいられなかった。
完全にお金に心囚われ、常にお金を追い求める状況に。
捨てるという方法を知る
そんななかでも、物の増殖は止まらず。
結果、部屋のスペースが手狭になり、レンタル倉庫を借りる羽目に。
そこで物を持つ事の「無駄」を実感。
沢山の物をどうすべきか対策を考えている時に 「 捨てる! 技術 」 いう本に出会います。
それまでは何事も溜め込む方向にしか向いていなかった。
なので「捨てる」なんて言う考えは斬新に感じました。
そんな考えに必要性を感じ、捨てていく事へ方向転換。
「増やす」から「減らす」にしたら
普通は如何にして多くの「モノ」を手に入れるかを考える事かと思います。
「モノ」を多く持ちたいという思いは、大半の誰もが持っている、ごくごく普通の思考と推測します。
少なくとも自分はそうだった。
日頃それほど意識せずに、その考えに沿って行動していた。
そんな普通の考えに逆行して「減らす」へ方向転換すると、何事も斜めに見るようになってしまいました。
それまで当たり前だった事に疑問を抱く事になり、あらゆる事柄に違和感と怒りが止まらなくなってしまった。
社会からの足枷に怒り心頭
お金を捨てて0円で生活する事は可能か?
なんて事を切望して考えさせられ事にもなった。
そうしたら・・・
何で家賃払わなくちゃいけないんだ!?
何で税金を払わなくちゃいけないんだ!?
「はああ!? 社会に足枷をはめられてる!?」
0円生活に憧れを抱けば抱くほど、お金を介す社会の仕組みの中でしか生きられない、また、そこから抜け出せない自分自信の不自由さに対しての怒りも噴出していく事に。
そうは言っても、お金というものが人から人へと移動する事で、人間社会が円滑に成り立っていくわけだし。
また、お金の力によってインフラが整えられ、便利で綺麗な街が作られる。
間違いなく私はそんなシステムから大きな恩恵を受けており、そのシステムを拒否するなんて出来ない。
じゃあ、そこは良しとしよう。
しかし、お金の配分はどう考えてもおかしいし不公平である。
国を支配するほどの金持ちがいれば、食べ物に困るほど貧乏がいる。
なんでそんな事になるのか?
ただ、搾取をやりやすくするための道具になり下がっていないか?
もうお金と縁を切りたいが、結論は、お金と仲良く
誰がこんなものを作った?
お金に支配され、心が蝕ばまれていくから、この世から存在を消す事は出来ないものか?
人間以外の生物社会ではお金無しで生活しているわけだから。
出来ない事はない。
人間でも実行する勇気と強さが有れば可能なはず。
という訳で、お金との付き合いは今後一切お断り申し上げたいと結論付いた。
が・・・
そう望んだとて、私はお金と決別する勇気と強さは持ち合わせておりませんでした。
数千年? を掛けて作りあげて来たシステムに、最近ポット出の弱者が太刀打ちなんて無理な話。
結論付けた数秒以後には撤回。
「お金を捨てて0円で生活する事は可能か?」に対しての答えは「不可能」です。
残念。
ならば、私に出来る事と言えば、お金への依存度を下げる事ぐらい。
残念ながら、それぐらいしかないかと。
付かず離れずの距離間を保ちつつ、仲良くしてやっていくしかない。
それを答えとして、頑張りましょう。

以前は欲しい欲しいと思っていたお金ですが、一転して、このお金と縁を切る方法を考えだします。
考えるまでも無く、馬鹿な私でも結論はすぐに見えました。
「そんな事、現代社会では無理!」
念のため、妻に意見を求めたところ、「お金こそ信用と自由を得るためのもの、ウダウダ言ってないで働け!」と言われた。
ミドリムシほどの極小の望みをかけて聞いてみたが、やはり無理みたい。