タルヲシレ?
妻が、山崎パン祭りのシールを集めて「白いお皿」を貰おうと画策していました。
シールを貼る台紙がテーブルの上に置きっぱなしになっていた事で発覚。
「もう皿は要らないだろ? 足るを知れ!」
そう諭すと、妻から「タ・ル・ヲ・シ・レ? タルヲシレって何?」と質問された。
意外なことに、妻はこの言葉を知らなかったようです。
私は、「犬も歩けば棒に当たる」と同じぐらい有名な言葉だと思っていたのですが。
学生の頃成績が良かった妻が知らないという事は、そう有名じゃない言葉なのでしょうか?
「足るを知る」という言葉はミニマリスト達の間で流行っている言葉
低能の私から「そんな事も知らないの?」と言われた妻は悔しかったようです。
ネットで調べてから私にこう報告してきました。
「足るを知るという言葉はミニマリスト達の間で流行っている言葉らしいよ~、だから知ってたんでしょ!?」
と鼻息荒く攻めてくる。
「いや昔から知ってたし!(・・・いや、もしかしてそうかも?)」
と、すったもんだした後、改めてこの言葉の意味を理解しようと思い、私も検索してみることに。
「足るを知る者は富み、強めて行う者は志有り」
正確には「足るを知る者は富み、強めて行う者は志有り」
古代中国の哲学者「老子」の言葉らしいです。
人間の欲望にはきりがないが、欲深くならずに分相応のところで満足することができる者は、心が富んで豊かであるということ。
『老子』に「足るを知る者は富み、強めて行う者は志有り(満足することを知っている者は富者であり、努力している者は志ある者であると言える)」とあるのに基づく。
意味はこちらから転載 → 足るを知る者は富む
私は確かに以上のような解釈で「足るを知る」を座右の銘にしていました。
「足るを知る者は富む」と言う考えの危険性
また、かなり興味深い記事も見つけました。
この言葉を下手に弱い立場の人間が旨としてしまうと、結果的に強い立場の者ばかりが利益を得てしまいがちだ、ということです。
つまり、一般庶民や、貧しい人たちのなかに「足るを知る」「止まるを知る」を旨とする人が増えていけばいくほど、「持てる者」の立場が安泰になっていくのです。
なぜなら、「取って変わってやろう」とか「あいつばかり富や名誉に恵まれるのは許せない」といった庶民の嫉妬心や向上心を緩和してくれる役割を、この教えは果たしてくれるからです。
そして、『老子』はまさしくこうした効果を狙った古典でした。
断捨離ブームの裏の顔
断捨離ブームは、物が溢れた状態に疲れを感じた人達が、こぞって飛びついた事により発生したものだと思っています。
その一方で、このブームには何か裏が有るのではないかと思っていました。
それが、民を弱体化させるための布教だったとしたらゾッとします。
考えすぎかもしれません。
しかし、妄信すると正確な判断力を失う事に。
自分が正しいと思っている事でも、常に疑問を投げ掛けながら事を進めていかなければと改めて思わされます。
去年はこんな事を思っていました。