自分は何のために生きていくのか?

過去、「自分は何のために生きているのか? これからも生きていかなくちゃいけないのか?」と考えさせられる事があった。

そんな疑問は、たいてい辛い時期に出た。

人間関係、経済的、体調などの悪化、やりたい事が無かったり、夢破れて絶望した瞬間とかに。

そんなとき、「どうせ死ぬんだから、生きてても意味ないじゃん?」という思いへ辿り着く事になる。

端的に言うと「今すぐ死にたい」だろうか。

とは言え、自ら人生を終わらせる度胸が無かったおかげで、なんとか生きて今こうやってブログを書いております。

 

で、最近の私にそんな疑問は生じません。

60がすぐ先に見えてきて、残りの人生が少なくなってきた事を実感すると、「あとどれぐらい生きていられるだろうか?」という心配に変わった。

とくに、2年前に買った原付バイクを愛でて楽しんでいると、そのような不安を生じる事がある。

 

が、そこから更に先を想像していくと・・・

 

「体力的な事を考えるといつまでもバイクに乗れるわけじゃない。いずれ手放す事になり想いを断ち切られるときがくる。その後、老いぼれて新たな楽しみを見つけられない自分は何のために生きているのか? なんて絶望感に苛まれる事になるのではなかろうか?」

 

先の事を予測するとまた「何のため?」が絶対出てくるはず。

そう考えると、ちょっとした恐怖である。

 

そんな事を妻に話すと、妻もまだ乙女だった頃に同じような疑問を抱いたらしく、母(義母)に質問したらしい。

その時母はこのように言っていたとの事。

 

妻:人は何のため生きてるの?

母:自分の魂を磨くため。

 

妻:どうして魂を磨くの?

母:身体はそのうち無くなるけど、魂は永遠に生き続けるの。この世で魂を磨いておけば、来世で楽が出来るでしょ。だから今のうち一生懸命磨いておきなさい。

 

以上、妻はそんな教えを心に留め生きてきたらしい。

その話を聞いて、私は輪廻転生は信じないけれど、「魂を磨くため」という理由が自分の中にスンナリ入ってきた。

漠然としてるし、ハッキリ目に見える形ではないが、それだからこそ良い!と感じたのかも。

 

バージョンアップした魂は、そのまま次のステージへ引き継げるので無駄にならない。質が高いと言っても嵩張らず荷物にもならない。物を持ちたくない自分には都合がいい話なので、ぜひ磨いていきたい!

 

となった。

 

「身軽さは豊かさへ繋げられる」を信じる身としては、「質が高いにも関わらず、嵩張らず荷物にもならない」というのは惹かれるところ。

という訳で、生まれ変わりは信じないにしても、魂を磨いていく事にしたのが数か月前の事。

 

とは言え、「魂を磨く」とはどういう事か?

具体的にどうすれば良いのか解らない。

パッと思い付いたのは、「人にやさしく」と「玄関の靴を揃える」の二つ。

間違っているかもしれないが、とりあえずその二つをやってみる事にした。

そうこうしているうち、あるとき突然、思いがけない災難が降りかかってくる事になる。

最初、そんな状況に鬱々とさせられるだけだったけれど、途中でハタと気付いた。

「この状況を、魂を磨く場と捉えてみたら!?」

そう思った瞬間、幾分モヤモヤが落ち着いてきた。

ただひたすら落ち込むだけじゃなく、漠然とだけど「魂を磨いていこう」と思えた事で、ダメージが軽減され、前向きにもなれた事を実感。

 

そんな感じで、「魂を磨くため」という考えをよりどころにしていたら、いろんな場面で有効活用出来る気がするので、今じゃすっかり私の心に定着してきた考えとなっております。

 

物を持たない暮らしを目指すときにも役立つかも。

当ブログの趣旨に沿った理由をかこつけて、「魂を磨くために、物に頼らず(持たず)生きていく」なんて方針でいくと良いかもしれません。

知らんけど。

 

 

 

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