我が道をいく
私は酒と煙草をやりません。
野球もサッカーも観ません。
人にそんな話をすると、「何が楽しくて生きてるの?」なんて質問をされた事が有ります。
何度も。
若い頃は全部やっていたので、その楽しさは知っています。
なので、不思議に思われ質問されるのはわからないではない。
しかし、そんな言い方されるとムカつくわ~
また同時に、「皆やっているのに何でやらないの? やろうよ! やろうよ!」みたいなプレシャーを感じてしまう。
持たない暮らしを暗に勧めているし勧められている
そのような状況を表す言葉を調べたら「同調圧力」って言うみたいです。
今風に言うと「空気読めよ!」という事でしょうか。
このブログはシンプル生活を題材にした事を書いています。
これも大げさに言うと「シンプルでいこうよ!」と私が世間へ向けて同調圧力を掛けているようなものでしょうか。
昔は自ら望んで持たない暮らしやシンプル生活を実践している人は少数派だったと思います。
最近では人と話をしているときに、明確な言葉でハッキリと言わないまでも、言葉の端々から持たない暮らしやシンプルな生活をしている、またはそんな生活がしたいと望んでいるのではないかと思われるような人が多くなっている気がします。
私が捨て作業を始めた頃は、「シンプル」「捨てる」「持たない」等に関する本やWebでの記事は少ないものでした。
それも最近では本や実践している人のブログやらで情報が溢れています。
テレビでも捨てる事を題材にした番組や、持たない暮らしを推奨する有名人の発言を見かける頻度が多くなってきました。
今日もテレビで、「人生変わる片付けTV 8割捨てる!極小生活」なんていうタイトルの番組をやっていた。
それを商売にする人も企業も現れました。
今や「持たない暮らし」もスッカリ市民権を得たように見受けられます。
私を含め多くの人により「同調圧力」の輪が大きく強くなってきているのかもしれません。
何のための同調圧力か?
私は断捨離作業が好きなのでそんな状況を見て嬉しく思います。
その反面、断捨離ブームが更に加速して、「皆やっているのに何でやらないの?」みたいなレベルになってしまうと、その先にはどんな状態がやってくるのだろうか? と心配してしまう。
世の中の動きが持たない暮らしや断捨離を推奨する事で、それに感化された人達が互いに同調圧力を掛けだし始める。
すると、空気を読む事が得意な人達は皆「い~らない!」となり、経済活動はどんどん衰退していく。
結果、日本国民は更に貧乏になる事が想像されます。
それはそれで貧乏だけど幸せ指数が高いどこかの国のように、幸福度の高い世界へ導いてくれるような良き指導者と社会が形成されれば良い事かもと思うのですが。
しかし、そんな事は全く期待出来ない。
また、本来は人に物を売り込む側のテレビが捨てる事を推奨する番組をやりだすと、どんな魂胆でそんな事をやっているのだろうかと不思議に思い懐疑的にさせられます。
そこから想像出来るのは、まずは溜めこんだ物を捨てさせ、新たにスペースを確保させて準備を整えたら、次に必要性を煽ってまた買わせるのが目的では?
シンプル生活、持たない暮らし、断捨離ブームは、結局は「新たに物を買わせる為の布石なのだろうか?」
なんて事を考えさせられる。
そんな事を想像すると、「俺は気付かないうちに洗脳されているのか!?」
なんて心配も。
いろいろと妄想しては考えさせられる。
とは言え、今のところシンプル生活は快適なので止める事は考えられません。
いずれにしろ妄信せずに、持たない暮らしのメリットやデメリットを考慮しつつ、周りに惑わされずにバランスを保ってシンプルな生活を目指していきたいところです。