ミニマリストにドン引き
私がミニマリストの存在を知ったのは、こちらの記事から。
必要最低限の「15個のモノ」しか所有しない男 アンドリュー・ハイドの生き方
「こんなのあり得ん!」
と思った記憶があります。
当時は断捨離作業に夢中で、物を減らす為のヒントを必死で探っていたのですが。
しかし、アンドリュー・ハイド氏の持ち物の少なさにはドン引き。
ミニマリストを目指す
それが今では私もそんなミニマリストを目指しています。
とことん物を手放して身軽になりたい。
その一心で断捨離作業を実践してきました。
しかし、現実的にはなかなか難しく、まだ「目指している」段階です。
ミニマリストになるのはハードルが高い。
シンプリスト
そこで思ったのは、ミニマリストの1歩手前ぐらいのジャンルは存在しないのだろうか?
いちいちジャンルや定義に拘る必要も無いですが、つい、そんな事を考えていました。
ミニマムの1歩手前は何だろうか?
シンプル?
ミニマリストならぬシンプリストなんて有るのだろうか?
という訳で検索してみると、「シンプリスト」という言葉が存在していた。
「シンプリスト」とは?
モノを排除したりせず、モノの数に関係ないシンプルライフを実践している人達の事。
「ミニマリスト」とは?
なるべくモノを持たず、不要な要素を排除して、必要最低限の暮らしを実践している人達の事。
詳しくはコチラ
以上二つ並べてみると、今の自分にしっくりくると感じるのはシンプリストのほう。
ミニマリストよりシンプリスト?
私が目標とするのはアンドリュー・ハイド氏のような極端に物が少ないミニマリスト。
「ミニマリスト = アンドリュー・ハイド氏の持ち物」
という観念が私の頭の中を占有しています。
これまで、物を減らせば減らすほど、日々の生活は楽な方へ向かうという実体験をしました。
なので、より少なくと考え、必死で物を減らしたいと考えます。
そこで、極端に所有物が少ないミニマリストを目標にした訳です。
また、ミニマリストのような持ち物にしたいと、囚われ縛られている自分も居る。
しかし、そこを目指したとて、どう考えたって無理。
また、アンドリュー・ハイド氏のような状態にまで減らすと、不便極まりない事は歴然。
それを解っていながら更に物を減らそうとするから、無駄に激しい葛藤を生じさせてしまう。
そんな葛藤や不自由を強いるより、方向転換してシンプリストを目指したほうが健全ではなかろうか?
自分の現状と一致しており、その状態が心地良いのだから。
もっと頭を柔らかくして柔軟に考えなければ。
なんて事を感じました。
縛られずに自由に身軽でいこう
持たない事に拘り過ぎると、それはそれで自分を縛り、自分の首を絞めてしまう。
そんな事を考えていると、ミニマリストに固執するよりシンプリストを目指したほうが身の為かな。
そうする事でミニマリストの呪縛から解放され、その分気が楽になれそうです。
そもそも、意味の無い定義に縛られるのは良くない。
また、ミニマリストやシンプリストを自称したい為にやっている訳ではありません。
目標は物も心も身軽にしたいため。
何事も参考に留めて、自分自信にマッチした方針で極めていこう!