エンジンが逝く
ボロい車に乗っています。
ボロが過ぎて、「いつ壊れてもおかしくない」
と、度々感じさせられていました。
それが、とうとうメーターパネル内の警告灯を点灯させる事に。
なんとか車屋さんに持ち込み、診てもらうと・・・
時すでに遅し、エンジンが逝っちゃっていました。
車屋さんには買い替えを勧められたけれど、まだまだ乗りたいので、エンジンを載せ替えて乗り続ける事に。
想定外の痛い出費を余儀なくされました。
どんどん物が増える
そんな経緯があり、現在、自分で車の整備をする事に燃えております。
と言うより、金が無いので自分でやらざるを得ないと言うのが正しいでしょうか。
伴って、細々した専用工具・部品・ケミカル類が増加。
せっかくスカスカにした納戸が、ぎゅうぎゅうに物が詰め込まれた状態へと変貌しました。
また、物(車)に掛ける時間も無茶苦茶増えました。
断捨離熱が高かった頃にいきなりこんな状態になったら発狂ものでしょう。
禍を転じて福と為す
最初は、車に大量の時間を割くのはいかがなものか?
物がどんどん増えていくし。
これで良いのか?
なんていうモヤモヤ感が満載だったのですが。
しかし、時間を持て余してダラダラ過ごすよりも、車の整備技術の習得に時間を費やしたほうが、これからも車に乗り続けるのだから、役に立つのは間違いない。
節約にも繋がる。
それに、機械をいじっているのが、なかなか楽しくなってきた。
例えば、ドロドロ状態のブレーキのオーバーホールをやり終えたときの爽快感は得も言われぬ。
結果、一石で三鳥を得てしまった。
また、そんな事をブログ(別ブログ)に書いてたら、小銭が入るようにもなった。
これで一石四鳥だ。
持たざるを得ない物で楽しもう!
所有物を減らす事は良いことだと思い、当ブログにそう書いてきました。
実際、車なんて所有していなかったら、こんな痛い目に合う事は無かった。
が、持たざるを得ない物だってある。
私にとって車がそれにあたる。
そういう位置づけなので、車自体にさほど興味は無く、洗車する事も、整備する事もほとんど無かった。
が、やむなくではあるが、自ら手を掛けてみると、まあまあ楽しめた。
また、自分のボロ車が好きになっていった。
という事があり、他の物にも目を向けてみなければと気付いた。
物に囚われる事は避けなければと思っていたけれど。
「持たざるを得ない物」こそ大事にしなくちゃいけない物だから、ないがしろはよくない。
放置しがちな、普段使う物を綺麗に洗ったり磨いてやったりする。
これが一見無駄に思えるが(私はそう思っていた)、それこそ有意義な時間かも?
なんて事を思わされた次第です。