田舎暮らしへの想い
(南会津群只見町にて)
不要な物を排除する断捨離作業が落ち着くと、次に田舎暮らしへの想いが膨らみ始めました。
田舎暮らしをしたい理由は様々あります。
その1つとして「音」。
現在、幹線道路沿いのアパートに住んでいます。
微かにですが、常時、車の通行音が聞こえている状況です。
また、すぐ隣にスポーツ施設が有ります。
そこに出入りしている人達の喋り声が気になるところ。
たぶん、生まれてから今までずっとそんな環境の中で生活してきました。
そういう訳で、音に囲まれて生活している事を取り立てて問題視はしていません。
(南会津群只見町の旅館にて)
そんななか、「超」が付くほど田舎の旅館(上の画像)に連泊したときの事。
しばらく静寂の中で過ごす事になりました。
窓を開けても車の音も人の声も聞こえない田舎。
聞こえるのはさざめく風と葉っぱがこすれ合う音のみ。
そんな体験をしたときに、「静寂」の心地良さを思い知らされます。
気持が凄く落ち着く、こんな場所に住みたい。
以上、音は理由の1つですが、そんな理由を集めていくと、結論は「田舎暮らしがしたい」という事に繋がります。
田舎に移住する事で、断捨離をしてきた事が無駄になるのか?
(南会津群只見町の旧五十嵐家住宅)
断捨離して持ち物を少なくしてきました。
出来れば今の状態を維持していきたいところ。
そんななか田舎への憧れが増し、移住して自給自足的な生活をしてみたいと目論んでいます。
そうすると、物を持たずに暮らすなんていう事は不可能になります。
今までとは真逆な状況が訪れるはず。
となると、今まで必死に物を減らしてきた事が全てパァになる・・・なんて思ってしまう。
せっかく物を減らしてきた事に「損したー」なんて思いも出てくるはず。
しかし、私が断捨離を実践してきた目的は。
- 物への呪縛から解放される。
- その分労働からも解放される。
- 結果、自分の時間を取り戻す!
という意味合いが大きかった。
断捨離した結果、自分の時間を取り戻せたので、「田舎で自給自足」を考えられるようになった。
断捨離を実践した事によって得た選択肢である。
という事は、今まで実践してきた断捨離は無駄ではなかったし、損にもならない。
そんな考えに囚われる事こそ損だ。
やってきた事は無駄じゃなかった
田舎暮らしを始めると、物が増える事は避けられない。
そうすると、いままでの断捨離作業が無駄になってしまうと考え躊躇する部分があります。
しかし、断捨離はそもそも何の為にやっていた?
それを思い返すと、物が増えてしまうので躊躇するなんていう考えは馬鹿げている。
自分がやりたい事へ繋げるための断捨離作業だったはず
次の段階で物が必要になるのであれば手に入れたら良い。
その時々の環境に合わせていく事がベスト。
決して無駄な事じゃなかった。
そんな風に考えるのが、より自分のためになるのかも。