東日本大震災が発生したとき「死ぬ!?今のうち全部捨てとこ!」と覚悟したときの話。

日本での大きな自然災害は当然の事になった

昔、海外で起きた大きな自然災害のニュースを見ては「海外では日本ではあり得ないような自然災害が起きる」なんて事を思っていました。

しかし、今では、日本でも大きな自然災害が頻発しています。

毎年、どこかしら大きな災害に晒されている。

 

俺もうすぐ死ぬんだなと覚悟した日

大きな災害と言えば、東日本大震災が思い起こされます。

当時、「俺、もう死ぬんだ」と思わされる事がありました。

とは言え、地震の揺れや津波により、直接的に命の危険に晒されたという訳ではありません。

完全なる妄想と思い込みにより、絶望感を抱く事になりました。

 

東日本大震災が起こり、福島原発が爆発。

その後、神奈川県でも放射能が検知されたとのニュースが流れました。

その翌日、自分の身体の異変に気付きます。

手の甲が赤くなっており、痒くもありました。

その翌日、朝起きて顔を洗っていると、顔にも違和感を抱きました。

「なんか、顔の皮膚がおかしい。火照っているような感じがするし、なんでだろ?」

そう思い、鏡で自分の顔を見ると、顔がハッキリと赤くなっている。

 

3月12日 福島原発が水素爆発。

3月16日 神奈川県で放射能が検出されたと知る。(当時東京在住)

3月17日 夜、手の甲が赤くなった。

3月18日 朝、顔が赤くなってヒリヒリする。

 

以上の経緯から、こう連想しました。

 

「被曝した!!!」

 

当時、放射能の知識は全くありません。

昔、チェルノブイリ原子力発電所の事故報道を見て、漠然と「放射能は怖い」という恐怖心を持ち合わせているのみです。

神奈川県で放射能が検知されたという事は、東京にも放射能の雨は降っているはず。

という事は、自分の顔が赤くなってヒリヒリしている原因は放射能のせいで、被曝してしまった!と連想した訳です。

「俺の命もあと3日?いや、1週間ぐらいは猶予が欲しい」なんて事を本気で思い、覚悟もしました。

 

しばらく生きた心地がしなかった

千葉県に放射線専門の病院があります。

診てもらいたくて、電話してみたところ、繋がらず。

病院のサイトには「対応不可」との記載がされておりました。

混乱している様子。

そりゃそうでしょうね。

誰にも頼れず、諦めて自分でネットで情報を漁りました。

しかし情報はほとんどありません。

初めてヤフー知恵袋で質問をしてみました。

 

「かくかくしかじかなのですが、これは被爆したのでしょうか?だとしたら、あとどれくらい生きられますか?」

 

すると、親切に返答してくれる人がいました。

答えを要約すると。

 

「東京で被曝して死ぬわけねーだろ!バカ!」

 

言葉は丁寧でしたが、雰囲気としてはこんな感じの返答を頂きました。

いやー、言い方はキツイしムカつく言い方だけど、ありがたく感じました。

その後、爆発的に放射線被曝に関する情報が増えていきます。

それらの内容を見ていくと、確かに自分の手と顔が赤くなった原因は被曝とは考えにくい。

じゃあ、原因はいったいなんだったのか?

手の甲が赤くなった日の事を、何度も何度も何度も回想しました。

そこで、当時、車の燃料を給油する際に、数時間待たされた事に気付きます。

環七が大渋滞でうんともすんとも動かない。

その際に、太陽の光が眩しいと感じていた・・・

そうだ!

赤くなった原因は、単なる「日焼け」だったのです。

冷静に思い返すと、日焼けだという事に気付きました。

パニクった自分が恥ずかしい。

とは言え・・・

しばらく不安は続きます。

後日、自宅の近くの放射線量計の値が一気に上がっていた事を確認しました。

放射線をたっぷり浴びている事に変わりはない。

今すぐ死ぬなんて心配は無くなりましたが、不安は払拭出来ず。

悶々とした日々を過ごしました。

 

断捨離が捗る

今では笑い話ですが、当時は真剣。

「死」を強く意識させられた瞬間でした。

数日間「死ぬ前にやりたい事は!?」「やるべき事は!?」「何をすべきか!?」と必死で考えたものです。

また、物に関しては、長い時間を掛けてコツコツと作り上げた物が、一瞬で破壊されてしまった被災地の光景を見て儚く感じ・・・

自分がもうすぐ死ぬかもしれないと感じたときに、所有している物達に対する儚さも感じ・・・

物に関しては「もう何もイラネー」みたいな心境になりました。

そんな事があり、その後は更に断捨離が捗る事に。

「災害に破壊されてなるものか!」

「自分で手に入れた物は自分の手で処分してやる!」

なんて感じで、せっせと処分していきました。

そんな行動は、何もイラネーと言うより、物に執着していた故かもしれません。

俺の大事な物を勝手にはさせないぞ!という想いです。

 

ほどほどに、しかし、更に身軽さを求めていこう

幸いにしてまだ生きています。

これからもしばらく生きていくことになるでしょう。

何もイラネーとか言っても、本当に何も無しでは生きてはいけません。

生きていけませんし、生活に潤いも無い。

という訳で、イラネーとは言いつつ、ほどほどに持っていますし、持っていなければいけないとも思います。

その「ほどほど」も何を基準に「ほどほど」と言って良いのか解りませんが。

とりあえず自分で「ほどほど」と言えれば良いのかな?

 

最近はまた災害が多くなってきており、防衛本能が発動しているようです。

そうすると、更に物を減らしたくなってしまう。

物を減らしたくなるのは、私なりの自己防衛の手段ですね。

余計なモノやコトに惑わされないように身軽にしておく。

身軽にしておく事で、失う物も少なく、逃げ足が早くなり、ダメージを抑えられると考えます。

まぁ、根を詰めるとまた病的になってしまうので、ほどほどに緩く、これからも身軽さを求めて断捨離を続けていきたいところです。

 

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