妻の実家の断捨離をやっています。
妻は屋内、私は屋外を担当。
私の受け持ちは、もう終わりが見えてきました。
という訳で、庭の手入れ作業に突入。
庭の手入れ作業は、手持ちの道具で開始。
するとね、解っていましたが、その道具のおかげで、大変な思いをさせられました。
作業に適さない道具は効率が悪いし疲れる。
手持ちの物だけでも、なんとか作業を終える事は出来たのでしょうが。
実際、いままで出来ていました。
が、それも、若いから出来た事。
もう、かなりしんどい年齢になってきた。
という訳で、途中から、道具を追加していく事にしました。
導入後の作業はかなり快適に。
特に三角ホーは良かった。
出来るだけ、新たな物の導入は控え、物とは距離を置く事を心掛けていたのですが。
久しぶりに、道具のありがたみを感じ、道具に感謝しました。
しかし、ヤバイです。
物の魔力というのは。
いや、自分の思考というのは。
また思考を書き換えられそう。
「もっと良い物はないか?」
なんて思考に陥り、止まらなくなってしまった。
趣味道具にまで派生して、「もっともっと」が加速。
連日、アマゾンや、ユーチューブのレビュー動画に釘付けにされています。
妻の実家の断捨離が切っ掛けとなり、そんな状態に嵌るとは。
という訳で、我に返り、回顧している次第です。
幸いにして、酷い事にはなっていません。
たぶん。
酷い事になる前に、「もっと快適に」より、「不便でも良いじゃん」を取り戻さねば。
快適さを求めると、物の嵩が増えるのは必然。
嵩が増えると、逆に不便さを伴う事にも繋がる。
また、使い終わった後は、死蔵品となる。
新たな物の導入は、いずれ、生活を圧迫させる事になりかねない。
それよりも、その瞬間は不便を享受して、やり過ごす。
一瞬、不便かもしれないが、長い目で見れば、快適さは損なわれない。
当然、持たないほうが、大きなデメリットになる事もあるでしょう。
そこはしっかり見極めねば。
可能であれば出来る限り、「不便でも良いじゃん」をやってみる。
冷静になり、そんな事を考えさせられている次第です。
あと、関係無い話ですが、持ち家の大変さをヒシヒシと感じました。
家の修繕。
庭の手入れ。
近所付き合いや、お隣さんへの配慮。
妻がたまに、賃貸アパート暮らしは最高、みたいな事を言っていますが。
気持がよく解りました。
