登山道具に惹かれます。
登山をやった事もやる予定も有りませんが。
それなのに惹かれるのは、どれも小さく、軽く、丈夫で、携行性に優れているから。
生きていく為の道具一式を、如何にして減らし軽くするか。
そんな考えを反映し、突き詰めた結果生まれた登山道具に、究極の必要最小最低限を感じる。
道具の選定に神経を費やし、少ない持ち物で如何にサバイバルするかを考えなくちゃいけない。
それが物を持たない暮らしをしたい我が身からすると、大いに興味を魅かれるところです。
そんな事を感じつつ、登山やキャンプ関連の動画を見ていたときの事。
丸腰にて野生でサバイバルをする海外の人の動画が目にとまりました。
必要最低限の道具どころか、何も持たずに手ぶら。
動物が食べ残した肉を鷲掴みにして、そのまま食らい付いたり。
寒くなったら、そこいらに転がっている動物の皮を身に纏ったり。
かなりの衝撃映像。
その動画を見つつ、全く何も持たずに生きていければ、それこそ最強だと感じました。
更に、服も靴も履かないで、何も持たない野生の動物こそ最強じゃないか!?
と、気付かされます。
野生の動物は何一つ持っていません。
いつも手ぶら。
所有欲が無いのでしょうか?
やるかやられるかの過酷な環境で生きていくなかで、戦うための武器すら持っていない。
己のこぶし1つあれば充分という考えなのでしょうか?
マッチョですね。
それとも逆に、一目散に逃げられるようにと、足手まといな物は持たないのでしょうか?
いずれにしろミニマリスト思考なのでしょう。
動画を視聴してから以降、手ぶらで生活する動物の生き方への憧れを抱かざるを得ません。
また、そんな姿を想像しては、自分の所有物を減らすと、己の身ひとつで生きている野生の動物に近付けた気分になります。
ちょっとマッチョになった気がする。
更に、身体に纏った多くの防具を一つ一つ取り外していき、最後にはムキムキの筋肉とムキムキの精神が露わになる。
その筋肉と精神だけ持って生きていきたい。
と、妄想します。
そこまでは無理でも、究極の身軽さを追求していきたいところです。
物を減らしてマッチョを目指すぞ!
ちなみに、今の私の現実は心身ともにブヨブヨ!
ゴリラ氏「俺には何も必要ないぜ」
