断捨離をやめる。

断捨離をやめようと思ってみた

断捨離終了後の生活はつまらないけれど、これで良いのだろうか?
断捨離作業が一段落して 持ち物を見直す事が一段落しました。 部屋からガラクタが無くなり、スッキリした空間で生活出来ています。 時間にも余裕が生まれました。 求めた生活を出来るようにはなったのですが・・・ なんか、日々つまんないんですよね。

 

昨夜、記事を書き終えてからこう思ってみました。

「断捨離をやめる」

今の自分にとって、なんとも現実味のない話ですが、そう思ってみた。

思ってはみたけれど、ぜんぜんその気が無いので、言葉は宙にフワフワ彷徨って、ぜんぜん心に入ってきません。

 

なんで「断捨離をやめる」と思ってみたのか

なんで「断捨離をやめる」と思ってみたのかと言うと。

先日も書きましたが、断捨離を実践してきた事による弊害が大きいと感じたため。

気持ちを抑制してばかりなので、心を解き放ちたい。

 

断捨離に対して否定的な記事を読んでみる

断捨離に対して否定的な意見を知りたくて、ネットにて記事を探してみました。

その意見を聞けば、やめたくなるかも。

 

  • 勿体ない
  • 物を粗末にするな
  • 宗教的で怖い
  • 捨てさせてまた買わせるステマ

 

などの意見を見つけました。

まっとうな意見だと思いますし、同意です。

ですが、断捨離をやめたくなるような説得力は有りませんでした。

 

リバウンドが怖い

それよりも、断捨離をやめるなんて、とても無理との思いのほうが強い。

その一番の理由はリバウンドが怖いから。

また物を買い漁ったり、物が部屋に溢れだす事を想像すると、断捨離をやめるなんて無理無理と思います。

 

守破離を実践する

守破離という言葉があります。

守破離とは。

 

日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方の一つ。

個人のスキル(作業遂行能力)を3段階のレベルで表している。

まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。

その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。

最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。

 

例(ラーメン作り)

守:ラーメンをレシピ通りに作ることができる。

破:ラーメン(守の段階で作ることができるようになったラーメン)のスープや麺、具材等をよりおいしくアレンジすることができる。レシピもより作りやすいようにアレンジすることができる。

離:ラーメン店を開業し、オリジナルのラーメンを作ることができる。あるいは、ラーメンから進化した新たな料理を作ることができる。

 

守破離 - Wikipedia

 

以上を踏まえると、なにも断捨離の教えを杓子定規に守る必要はありません。

自分勝手に書き換えて実践したとして何の問題もない。

間違った方向に向かわないように気を付けるべき事はあると思いますが。

断捨離の考えを自分の都合の良いように書き換えてみたいと思います。

そう考えると少しワクワクしてきました。

 

断捨離をやめて身軽で軽やかになる方法を考える

というわけで、なんやかんや言いつつ、一旦、断捨離をやめます。

その替りオリジナルな方法を編み出していきたいと思います。

身軽に軽やかに生きていける方法を。

自分の都合の良いように、自分なりの心も軽く出来る考え方をまとめ、実践していきたいと思います。

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