死を意識させられる年齢になった
50歳を過ぎて「死」を意識させられるようになりました。
まだまだ先の事だと思いますが。
あと20年ぐらいかな?
いや、あと30年は元気で生きたい。
なんて想いが度々頭を過ります。
タイミングが早すぎだとは思いますが、私の断捨離作業は生前整理も意識させられるようになりました。
そんななか、ギターケースの中身を確認していたときの事。
他人が欲しがる物
唯一残したエフェクターが入っています。
ギターが弾けるようになったら、そのうち使いたい。
よって、今のところは手放せない。
それに、コレは欲しがる人が居るでしょう。
不要になったら売りましょう。
他人が欲しがらない物
小学生の時に初めてギターを買いました。
同時に購入した笛のチューナーと音叉を今でも持っています。
今時こんなの使う人居ませんよね?
自分自身も全く使っていません。
しかし、なかなか捨てられずにいます。
自分軸で取捨選択
この笛と音叉を目の前にしてこう思いました。
「俺が死んだ後、コレを使いたいと言う人が居るだろうか?」
「妻は? 弟は? 甥は? 姪は?・・・欲しがる人は絶対居ない!」
「俺が死んでしまったら完全にゴミだ!」
という訳で、「無駄だ!今のうちに処分しなければ!捨てよ~」
とはいきませんでした。
金にもならないし、捨てたところで全く困らない物。
しかし捨てられない。
音叉をピーッンっと弾くと、少年の頃に浴びていた感覚と同じ感覚を浴びられます。
それがどうしたの?
という話でしょうが。
死んだ後はゴミになるだけ。
だから捨てなさいと言う人が居ます。
そんな考えに共感して、沢山捨ててきました。
で、笛と音叉も捨てようとした。
が、それは自分を軸にした考えではない。
そう考え直し、やっぱり取っておくことにしました。
今回もちょっと勢いが足りずに断捨離失敗。
捨て辛い物を増やさない為には、不要になったらすぐに処分する
思い出の品はなかなか捨てられません。
長い期間所有していると、その長さに比例して捨てられない気持ちも大きくなります。
いつか訪れる本格的な生前整理に苦労しないよう、捨て辛い物を増やさない為に、不要になった物はさっさとケリを付けていかなければ。
自分でしっかり始末してスッキリして去りたいものです。
元気な今のうちにしっかり準備を整えておこう。
思い出の品を目の前にして、ヒシヒシとそう感じさせられた次第です。