「持っている者はさらに与えられ、持っていない者は持っている物までも奪われる」
以上、福音書(イエス・キリストの言行録)に書かれているイエスの教えです。
言葉の意味はド素人の私では間違った事を解説しかねないので、興味が有る方はご自身で調べてみて下さい。
マタイによる福音書13章12節と25章29節。
マルコによる福音書 4章 24・25 節。
ルカによる福音書19章26節。
イエスが言いたかった事はさて置いて、言葉の字面だけ見てこんな事が連想されました。
「資本主義の世界では、お金持ちはどんどんお金持ちになり、貧乏人はどんどん貧しくなっていく」
正に現在の世の中。
いや、ずっと昔から続いてきた事ですかね。
更に。
「精神世界では、心に豊かさを持っていれば、更に豊かさが増す。逆に、不安に陥るような事になれば、更には鬱になってしまう」
という事を想像しては、ちょっとでも「貧乏」より「金持ち」の方向へ、「不安な心」より「豊な心」の方へ向いていなくちゃいけないと感じます。
更にはこんな事も連想させられました。
「断捨離ブームによって、持っていない私は持っている物までも奪われた?」
そう考えてみると、否定出来ない部分が大いにある。
僅かな持ち物を、ある意図により奪い去られた!?
「そうだったとしたら許せん!」
なんて被害妄想が発動しました。
しかし、物に関しては、減らす事により出費を抑えられたり、スッキリした空間を得る事が出来たので「奪い去られた」というのは当てはまらないかなと。
だが、心の豊かさに関しては奪い去られた感は否定できないかも。
「なるべく働きたくない」なんていう、「なるべく○○したくない」というような考えで頭の中が一杯になってしまいました。
断捨離を実践してきた事で、そのような思考が強くなった事は否めない。
そのような考えは果たして「心が豊」と言って良いのか?
そんな疑問が生じてきました。
必死で断捨離×2と唱えて、とにかく物や事を捨ててきましたけれど、一旦冷静になって自分の考えを見直してみなければ。
断捨離というのは豊かな生活へ結びつけるための手段です。
それを実践してきた事により疑問を抱かされる事柄が生じたという事は、自分のやってきた事や考えがズレていたのでしょうね。
これからは新たな道をより豊かな状態で歩むためにも、正しい方向へ修正していかなければと考えさせられている次第です。
しかし、その「正しい方向」がいまいち解らなかったりするのですが。
実践しつつ答えを模索し、自分にとっての正解を自ら決めるしかないのでしょうね。