服を捨てるという考えが無かった
20代の頃の話です。
服に関しては格好つけたい気持が大きかったのですが、流行に乗っかってオシャレをしたいという気持ちはありませんでした。
貧乏だったし、いつもほとんど同じような格好をしていました。
革ジャン、ジーパン、ブーツと。
バンドをやっていたので、いかにもロックな恰好をしていました。
今思えばそれが流行だったのかも?
数は多くないですが、ステージ衣装なんていうものも持っていました。
また、いつも同じ服しか着ませんでしたが、何かのきっかけで自分の手に入ってきた服はとりあえず保管していました。
着るとか着ないとか深く考えず、捨てるなんていう考えも湧かず、とりあえず持っていました。
破れたら捨てる事になります。
とは言っても、全く着ない服が破れるなんて事はありません。
ゆっくりと増えていきました。
体型が変わって履けなくなったジーパンもしばらく持っていました。
【ジーパン好きだったのですが、捨てる事に目覚めてから捨てました。履けない物を持っていてもしょうがありません。 捨てる前に記念撮影 ↓】
超低速で服が増えていった
服は地味に超低速で増えていきました。
超低速でも、10年、20年と時が経てば、それなりの量になります。
「捨てる」という選択肢に気付けなかったら、今でもあの薄汚れた服達を持っていたのか!?
着ないのに!?
いまだに所有していたら・・・
そんな状況を考えると怖すぎる。
着ない服の管理は無駄
革ジャンを複数持っていました。
革の管理は大変。
カビを生やしては哀しい思いをしました。
ステージ衣装なんていう物もありました。
この先永遠に着る機会なんて訪れません。
さすがにステージ衣装は、断捨離の教えに出会わなかったとしても、いつかは捨てていたと思いますが。
一方、革ジャンに関しては「一生モノ」という意識があったので、断捨離に出会わなかったらいまだに持っていたかもしれない。
そんな事を想像すると「捨てる事」が出来るようになって「助かった」と感じます。
服の趣味は変化する
服の趣味はハードなものから軽くて動きやすい素材のものへと変化しました。
がらっと趣味が変わってしまったので、もう革ジャンを着たいと思いません。
ジーパンは履いてみたいですが、昔のようなスリムな体型に戻れる気が全くしません。
これからも「いつか」は来ないでしょうから捨てて正解でした。
服の趣味は変わらざるを得ないという側面がありますから、今着ない服は将来も着ない確率が高いと思います。
無駄な労力から解放されて楽になれば良いのに
妻を見ていると、着ない服を定期的にメンテナンスしています。
防虫剤や除湿剤は絶対に欠かさず、たまにクリーニングに出したり。
先日は亡くなったお義母さんの形見の服を洗っていました。
しかし、着る機会は全く訪れないでしょう。
そんな姿を見ていると、妻の服に対しての想いには、なんとも口出ししにくい部分があります。
小汚い恰好が平気な私には踏み込んではいけない聖域として、一切口出しせずにただ黙って見守るだけ。
しかし、そんな様子を見ていると、「早いところ無駄な労力から解放されて楽になればいいのに」とは感じます。