必要の無いものは大方処分し、自分にとって必要な物だけ残しました。
そんななか、持っていると考えさせられる物があります。
それは自転車。
しばらく乗っていない事に気付きました。
いまのところ乗りたいと思いません。
しかし、また乗りたいと思う気持ちが訪れる事は間違いない。
というのも、飽きては再燃するという事を繰り返してきたので。
そのため、また乗りたいと思ったときに、自転車が無かったら後悔するだろうな~との想いで処分出来ないでいます。
しかし、数ヶ月~数年間は乗らないので、その間は完全に邪魔な物。
そんなわけで最近「これ要らないんじゃないか?」の自問自答がちょくちょく行われます。
分解して押入れにしまったり、倉庫(妻の実家)に置く事も可能です。
しかし、そんな事をするぐらいなら手放したほうが良いと考えます。
自分の目に見えない所に置いたとしても、持っている事にモヤモヤさせられるでしょうから。
自転車は生きるためにどうしても必要な物ではありません。
なので捨てたとしても「ちょっと残念だったな」程度の気持ちで終わりになると思います。
しかし、一緒に積み重ねてきた月日がこれで終了になると考えると未練タラタラ。
執着心があるようです。
「ところで執着心て何?」
と、いまさら素朴な疑問を生じて調べてみました。
ざっくりまとめてみました。
- 自分以外の人や物から幸せを得たいと考える。
- そうすると、その人や物がないと、不幸を感じる。
- また、その人や物がないと幸せを感じられないため、その人や物を手放したくないと思う。
- 自分以外の人や物によって幸せを感じていると、その人や物を失うと、幸せを失ってしまうため、その人や物に依存する心を執着心という。
という事です。
また、執着心が強いと不幸になりかねないとの解説がありました。
その理由は。
- 執着心とは、自分以外の人や物に依存して幸せを感じる心。
- 人や物を手に入れると幸せを手に入れるわけですが、同時に人や物を失う怖さも手に入れる事になる。
- 失う事は怖いですから、失わないようにとの想いが、更に執着心を強くする。
- 幸せと恐怖はセットで膨らんでいく。
よって。
- 執着心が強いと、不幸になりかねないので、執着心を捨てて、自分自身に幸せを見いだしなさい。
との事です。
確かに、持っている事って、同時に怖さも持つ事になりますよね。
壊れたらどうしよう。
盗まれたらどうしよう。
もう二度と手にはいらないのではなかろうか?
など。
ほんと、持っている事って恐いです。
メロドラマの恋愛における「幸せすぎて、あなたを失うのが怖い」と同じ事。
自転車の事が好きすぎて、持っている事が心の負担になっている。
負担になっているが、どうする事も出来なくて解決出来ないでいます。
最終的には「持っている事は不幸だ!」とでも唱えて、自分自身を洗脳していくしかないのでしょうか。
なかなかやっかいです。
しかし、こうやってブログに書いたという事は何かしらの前ぶれかもしれません。
さてこの先どうなるのでしょうか。
