断捨離思考から虚無感へ至る理由と対策。

前回までの記事

 

虚無感に陥り買物依存症だった事に気付く。
虚しい日々が続く長いこと断捨離作業を続けてきました。現在、捨て作業は落ち着き、日々淡々と過ごしております。シンプルで穏やかな生活が出来るようになりました。良い傾向だと思います。が、いつも、心にぽっかり穴が開いた感じと言うか、やる気が起きませ...
ストレスから買物依存症へ陥る経緯。
買物依存症を確信先日、自己診断ですが、昔の自分は「買物依存症」だったという事を確信しました。依存症と言うとアルコールやギャンブルを止められない人の事を連想させられます。なので、アルコールもギャンブルもやらない自分が依存症だとは思いもよらなか...

 

なぜ虚無感に苛まれるのか模索し、その過程で3つのヒントを得ました。

「ストレス」「依存症」「ドーパミン」です。

以上の事柄を理解すると、虚無感に陥るまでの仕組みがわかったのでまとめます。

いろいろなパターンがあると思いますが、私の場合は下記のような経緯でした。

全て自己診断と言う事をご了承下さい。

 

虚無感に陥るまでの過程

虚無感に苛まれるようになったのは依存症だった事が原因です。

ストレスが発端となり依存症を発症しました。

どんな依存症かと言うと、最初は「買物依存症」で、転じて「捨てたい依存症」へと変化しました。

 

以下、文中に出てくるドーパミンとは簡単に言うと、やる気を出すように脳に指示を出す物質です。

ドーパミンの分泌により高揚感を得る事になります。

 

第一段階(ストレスから買物依存症を発症)

日々の生活の中でストレスを感じる。

ストレス解消のため「物」や「買物」に癒しを求めるように。

買物という行為によってドーパミンが分泌され高揚感を得る事になる。

高揚感を得るとストレスから一時的に開放される。

ストレスから解放され気分が良くなる。

無意識のうちに高揚感を求め、更に買物への意欲も高まる。

以上を繰り返しやめられずに買物依存症に陥る。

 

第二段階(買物依存症から、捨てたい依存症に変化する)

物が溢れ物に煩わさせられる事に嫌気が差してくる。

一転して今度は捨てるように。

行動は「買う事」から「捨てる事」へと変化した。

捨てる事に変化したが、買物をしていたときと同じように、捨てる行為によってドーパミンは分泌されており、引き続き高揚感を得た状態は続く。

以上を繰り返しやめられずに、今度は捨てたい依存症に陥る。

 

第三段階(捨てる物が無くなり虚無感に陥る)

捨てる事に没頭し、捨てる事によって高揚感を得ていた。

それが、捨てる物が無くなった事で高揚感を得られなくなってしまう。

更に断捨離の教えにより思考や行動が抑制されているため、他の行動が出来ない状態にも陥る。

ドーパミンの分泌は止まりストレスが蓄積されていくのみ。

ここで強い虚無感に苛まれる事になる。

断捨離終了後、ストレスの無い状態か、または他の何かに没頭出来ていれば虚無感に苛まれる事は無かったと思う。

しかし、断捨離思考により新しい事柄を取り入れる事を拒絶してしまい、八方塞がりの状態。

そんな経緯により虚無感に苛まれる事となる。

 

買物依存症も捨てたい依存症も同じ行為依存

「捨てたい依存症」と自分では言っていますが、そんな精神疾患名が存在しているのかネットで確認してみると、そのような言葉は見つかりませんでした。

が、症状の種類としては買物依存症と同じ「行為依存」という分類に入るのではないでしょうか。

行為は違えども買物依存症と捨てたい依存症は同じという事です。

以上は、あくまでド素人の私の見解です。

 

人の物まで捨てたくなる

今回知ったストレスとドーパミンという脳内物質が起こす作用を理解したうえで、強い虚無感に苛まれた当時の事を思い返すと、虚無感に苛まれた事が容易に想像出来ました。

捨て作業を行っていたときには、かなりのドーパミンが分泌されていたと確信できます。

捨てる物が多ければ多いほど、それは顕著だったと思います。

高揚感が捨てる作業を加速させ、挙句の果てには何もかも捨ててしまいたい衝動に駆られる。

そんな欲求を抑えるのに苦労した覚えがあります。

妻が居らず独り身だったらスッポンポンになっていたかもしれません。

また、自分の物だけでは飽き足らず、人の物まで手を付けるというような行為にまで及んでしまい、私の断捨離行為のせいで妻と度々いざこざがありました。

妻に強く咎められると、「ちょっと病的で危ない事をしているのかな?」

と、一瞬そんな思いが頭によぎる瞬間もありました。

しかし、そんなときには逆に「断捨離は良い事だから、病的になってでも人助けをしなくちゃ!俺がやらなきゃ誰がやる!」

みたいな使命感にも似た気持ちで取り組んでいた。

思い返すと間違いなく依存症による危険な行為です。

 

虚無感を払拭するための行動を始める

ずっと虚無感に苛まれており、虚無感からの脱出方法を模索していました。

そこに先日、買い物をするときに気分が晴れ晴れとした経験をします。

その晴れ晴れとした気分をきっかけに、虚無感に苛まれる仕組みを理解する事が出来ました。

理解出来たのでそれをヒントに、虚無感から脱出する方法を考えていかなければ。

では、具体的にどうやったら虚無感から脱する事が出来るのだろうか?

それはこれからの課題になります。

以前、対処法を考えた事があります。

 

断捨離が終わった頃に強い虚無感に苛まれた。
断捨離が終わった頃に虚無感を覚える数年前の話です。捨てる物がほぼ無くなってしまった状態になったときの事。強く虚しい感情に襲われるようになりました。捨てる物が無くなりスッキリして、理想の形を達成しつつある瞬間。本来ならば達成感を得る場面かと思...

 

が、完全ではありません。

まだまだ模索していかなければと思います。

 

まとめ

豊かになるために身のまわりの不用品を見極めて、生活に支障をきたさない範囲内で捨てるのは問題ありません。

しかし、生活に支障をきたすほど捨てたり、自分の物だけでは飽き足らず人の物まで手を付けだすと、そのような行為は間違いなく依存症です。

依存症に陥ると非常に怖い。

自分で自分の事をコントロール出来なくなってしまう。

気を付けなければ。

しかし、物の見直しは健全に出来ていれば、有意義な事は間違いないと思います。

これからは健全な断捨離作業を続けていきたいところです。

 

タイトルとURLをコピーしました